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これまでの放送内容

2009年7月19日(日)

ぼくたちのせんせい 旅に出る ~画家 軍嶋龍樹 14年間の記録~

福岡市内の幼稚園で、子どもたちに絵を教えている画家がいる。軍嶋龍樹さん(43歳)。脳性まひによる肢体不自由・言語障がい・難聴という3つの障がいと共に生きている。

龍樹さんは、言葉はひとことも話さないのに、子どもたちから驚くような力を引き出し、いきいきとした絵を描かせる。
龍樹さんは1966年、福岡市南区で浄土宗の寺・正法寺の長男に生まれた。母・建子(たけこ)さんは龍樹さんを「自分のことは自分でできるように」と厳しく育てた。そして龍樹さんの絵に対する情熱と才能にいち早く気づいたのも、建子さんだった。12歳で画家・三浦吉十さんに師事、のびのびと才能を開花させた龍樹さん。温かい色使いと優しいタッチ、切ないほどの愛情にあふれた家族の肖像で、20歳の頃には既に多くのファンをもつ画家として活躍していた。

ところが30歳を過ぎる頃、病魔が彼を襲う。手足がしびれ、命すら危ぶまれた。大手術により一命をとりとめたものの、手術から1年経っても2年経っても、なぜか龍樹さんは全く絵を描けないでいた。頼まれて子どもたちに絵を教えるようになったのはそんな時だった。
ひとりの画家の14年間の記録…その道のりは決して平坦ではない。絵を描く喜びを失い、かけがえのない人を失い、それでも生きる喜びに満ちて歩き続ける。そして今、彼は1人車いすで旅に出た。その行き先とは…!

制作局テレビ西日本(TNC)

2009年7月12日(日)

手作りスピーカーの秘密 ~音にこだわる男の半生~

オーディオ機器を独自の技術とアイディアで製作している沖縄市在住の知名宏師氏、知名氏は全指向性パイプ型スピーカーと溶接アンプを開発した。

知名氏によれば、全指向性パイプ型スピーカーとは、リスニングポイントを限定せずにどこでもバランスの良いステレオ効果が得られるほか、これまで聞こえなかった音域が聞こえるようになったという。今では、全国各地からその全指向性パイプ型スピーカーの注文が相次ぐようになり、評価が高まりつつある。

番組では、独自の発想でしかも手作りでオーディオ機器の製作に携わる知名宏師氏のこだわりとその情熱に迫る。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2009年7月5日(日)

日々是勉強! 86歳青春一直線!!

宮崎県新富町在住の清トシ子さん(86)は80歳の頃当時日本最高齢の女子高生として通信制高校を卒業した。

その後同世代の心の悩みを癒すため心理カウンセラーの資格を取得。現在も勉学に励む学生顔負けのおばあちゃん。六十の手習いならぬ八十の手習いで書道・三味線・俳句などの趣味を始めている。

ある日老人ホームにいるおばを訪ねたトシ子おばあちゃん。おばの元気がなかったことをきっかけに、自ら慰問を計画。今まで習ってきた書道・三味線等を披露する。

【出演者】清トシ子
【ナレーター】小西麻衣子(テレビ宮崎アナウンサー)

制作局テレビ宮崎(UMK)

2009年6月28日(日)

チームで救え! ~桟橋落下事故と大分DMAT~

1月23日に発生した造船所事故では、桟橋が落下して2人が死亡、24人が重軽傷を負った。現場に投入されたDMAT隊員たちは、現地に医療活動が出来る救護所などを急ごしらえして負傷者の救命活動を行った。

一度に多数の患者に対してドクターやナース・点滴液などの医療資源には、おのずと限界がある。限られた資源を効率的に救命につなげるために行われるのが、負傷程度により患者を区分けするトリアージだ。

トリアージについては、国内のほかの事例で当該遺族からドクターに対して訴訟が起こされるなど、災害現場での医療手段としての国民的コンセンサスの醸成が待たれている。
現場に投入された大分DMATは、去年春に発足したばかりの新組織である。最小単位をドクター1人、ナース1人と小規模にしたり出動基準を緩和するなどユニークな組織と活動はローカル県での活動としては、すでに数多くの成果をもたらしている。番組では、大分DMATの組織づくりに奔走する若い外科医の救急医療への強い思いやDMATに携わるドクター・ナース・救急隊員たちの生の声を拾いながら災害医療のあり方を考えるとともに、医師不足など地域医療の抱える課題にも果敢に挑戦する大分DMATの試みも紹介する。

制作局テレビ大分(TOS)

2009年6月21日(日)

なぜ息子が… ~健太さんの死が訴えるもの~

2007年9月25日午後6時頃。いつものように自転車で帰宅途中の青年が、自宅まであと少しの場所で、5人の警察官に“取り抑え”られ、直後に死亡した。青年の名は安永健太さん(25)。知的障害者だ。

障害者のスポーツの祭典、スペシャルオリンピックスに佐賀県から初めて日本代表に選ばれ、リレーで銀メダルを獲得した。警察は当初、安永さんが「車と車の間を縫うように自転車で車道を蛇行運転、パトカーの停止命令に従わず、信号待ちしていた原付バイクにぶつかり暴れたため“保護”した」と説明。安永さんを「精神錯乱状態と判断し、知的障害者とは分からなかった」と。安永さんは後ろ手に手錠をかけられていた。「死んで“保護”はないでしょう」と警察に不信感を募らせる父。「警察が、知的障害者と分かっていたら…」その言葉が重くのしかかる。 障害者が地域で安心して暮らせる社会を目指すとした『障害者自立支援法』。この問題は、その受け皿が整っていないことも示した。二度と起こさないために…。障害者と見分けがつくように『ラベリング』を…。いや、逆に犯罪に巻き込まれてしまう…。苦悩を続ける施設関係者。知的障害者への理解を深めてもらう活動は、今も続く。 安永さんが亡くなって1年が過ぎた頃、一通の封書が届く。遠く離れた東京・町田市の知的障害者の母からだった。そこには、安永さんの死を二度と繰り返さないために作った『SOSボード』が。「安永さんの死は無駄になっていない…」と。

制作局サガテレビ(STS)

次回放送内容

OA:2026.09.27(日)

聴覚に障がいがある選手で行うバスケ競技、デフバスケットボールの日本代表、井上和(なごむ)さん。31歳。宮崎県日南市で4人兄弟の末っ子として誕生。兄弟で唯一生まれつき音が聞こえなかったが、両親は「聞こえないのは個性」として前向きに子育てをしてきた。小学2年生の時バスケに出会い、次第にプロのバスケ選手を夢見るように。しかし、いじめが原因でそんな日常が崩壊し始める。「なんで僕は耳が聞こえないんだ」とぶつけてしまったのは、幼い時から1番の味方でいてくれた母だった。 ここまで支えてくれた両親に恩返しがしたい。現役ラストの大舞台・デフリンピックにかけた彼の想いと家族に密着した。

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