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これまでの放送内容

2011年12月4日(日)

開店!!居酒屋診療所 店長は町のお医者さん

宮崎県の北部、延岡市。 人口の約3割が65歳以上と高齢化がすすみ、公立病院で医師の数が足りず休診科が出るなど深刻な医師不足問題も抱えている。

そんな街に昨年誕生した「大貫診療所」。院長で唯一の医師、榎本雄介さん(37)は「街を元気に。住む人を幸せに」という目標の元、医療以外の面でも地域活性化のために駆け回る日々。その活動の一つが、診療所の2階で月一回開催する「診療所居酒屋」。院長から店長へと変身し、地域住民との交流の場として一年半続けている。「徹底した地域密着医療」を目指す青年医師の姿を追った。

制作局テレビ宮崎(UMK)

2011年11月27日(日)

田んぼに学ぶ ~元警察官の生きる道~

長崎市西海町で無農薬にこだわった米づくりに励む男がいます。甲田哲美さん(68)。実は、彼、以前の職業は警察官。定年を前に退職し、農業へ転身しました。美味しい米を作る立役者は、合鴨たち。合鴨農法で、安全・安心な米を作ることにこだわっています。

農業を始めて6年目。鍬を持つこともほとんど無かった甲田さんが、どうして農業の道へ進んだのか…。これまでの生き方に疑問を持つようになったからです。組織に身を置くことへの価値が見出せなくなり、自分を見つめ直す時間を求めた結果の選択でした。地域の人々との交流や、食のありかたなど、甲田さんが見つけた理想の生き方を描きます。

制作局テレビ長崎(KTN)

2011年11月20日(日)

中学生たちの戦争 ~追想画が伝える学徒動員~

熊本県の旧制人吉中学の同窓会が今年も開かれた。昭和17年4月の入学。彼らは3年生の時に戦争を背負わされた。学徒動員である。

男たちは戦争にとられ、生産現場は空洞化。中学生や女学生が労働力となった。西峯さんら人吉中の生徒たちは長崎の海軍工場に動員、到着5日目に戦争という現実を目のあたりにする。B29の大空襲だった。同じ熊本から動員されていた御船中の仲間たちに犠牲者が出た。死がすぐそこにあった。

戦争が全てだった時代…深刻な食糧事情が中学生たちを苦しめた。朝から夜まで、今日も明日も「ひもじい」。それは2度と体験したくない日々だった。そんな我が子を思い、親たちは食料を運んでくれた。ただし校則で差し入れは御法度。西峯さんたちは、それぞれの隠れ家で、親たちと会い空腹を満たした。親たちは自分たちの分を削って、我が子へ食料を届けた。西峯さんは、そんな母の愛を防空頭巾に感じていた。「僕の頭巾は他の人より一廻り大きかった」。こうした学徒動員の記憶を、西峯さんは追想画にして画集にした。次の世代に語り継ぐべき戦争。西峯さんの動員学徒追想画は、平和への願いである。

制作局テレビ熊本(TKU)

2011年11月13日(日)

故郷 ~がんばれ霧島!温泉宿・母娘奮闘記~

今年1月、約300年ぶりに噴火した鹿児島県と宮崎県にまたがる新燃岳。

活発化した火山活動は周辺住民の生活に大きな影響を与えた。霧島市高千穂の丸尾温泉郷では、爆発による空振で窓ガラスが割れるなどして宿泊客のキャンセルが相次いだ。その温泉郷にある温泉宿「花みずき」も、例外なく宿泊客が激減、いつもの年の三分の一まで減った。女将の高崎道江さん(57)は温泉郷の女将会のリーダー的存在。また次女で末っ子の茜さん(20)は、日本舞踊の名取。母のあとを継ぎ二代目女将を目指し、将来女将となったときに接客業に必要と看護学科に通う学生である。母娘ともども「このままでは、ふるさと霧島が廃れてしまう。自分たちができることから始めよう」と立ち上がった。

3月27日、霧島市とその周辺の人々が集まり、新燃岳噴火の終息と同時に東日本大震災の被災地の復興を祈願。また4月3日には、温泉街から何かを起こさなくてはと「がんばろう霧島・チャリティーライブ」が行われ、久しぶりに大勢の観光客で温泉街が賑わいをみせた。13年前、高崎茜さん(20)は「We Love九州」で当時小学1年生だった茜さんを主人公に「ようこそ霧島の宿・小1おかみ修行中」として放送している。

それから14年、二十歳になった主人公が登場。今でも女将を目指すことは変わらず、温泉街の伝統を継ぐ「九面太鼓・わかな」のメンバーとして、また日本舞踊の名取を持つ茜さんは地域の高齢者たちに元気を取り戻させるために日本舞踊でも温泉街の絆を深めている。番組では、ふるさとを元気するために日々情熱を燃やす女将・高崎道江さんと、二代目女将を目指す茜さん、温泉街で暮らす母娘の姿を追った。

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2011年11月6日(日)

大切なことは目に見えない ~沖縄盲学校の母~

主人公は中村文さん。みんなから「文先生」と呼ばれて慕われている女性。

去年、カジマヤー(数え歳97歳を祝う沖縄の風習)を迎えた96歳です。沖縄盲教育の礎を築いてきた彼女は、「沖縄盲学校の母」と慕われ、今でも点字指導では右に出る人がいない第一人者です。『視覚障害者は“百聞は一触にしかず”ですよ』と話す文先生。手で触って物事を捉え、イメージを広げていくという文先生の理念は、今も盲教育の現場に受け継がれています。

全盲のテノール歌手・新垣勉さんも、文先生の教え子の一人。なかなか点字が覚えられなかった勉さんに、文先生は粘り強く教え続け、点字楽譜も読めるように指導しました。全国で活躍する勉さんの音楽生活の土台は、文先生によって築かれたと言っても過言ではありません。「教育はすごい」。中村文先生は、「見えないこと以外は何でもできる」と信じて、盲教育の道を切り開いてきたのです。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

次回放送内容

OA:2026.09.27(日)

聴覚に障がいがある選手で行うバスケ競技、デフバスケットボールの日本代表、井上和(なごむ)さん。31歳。宮崎県日南市で4人兄弟の末っ子として誕生。兄弟で唯一生まれつき音が聞こえなかったが、両親は「聞こえないのは個性」として前向きに子育てをしてきた。小学2年生の時バスケに出会い、次第にプロのバスケ選手を夢見るように。しかし、いじめが原因でそんな日常が崩壊し始める。「なんで僕は耳が聞こえないんだ」とぶつけてしまったのは、幼い時から1番の味方でいてくれた母だった。 ここまで支えてくれた両親に恩返しがしたい。現役ラストの大舞台・デフリンピックにかけた彼の想いと家族に密着した。

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