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これまでの放送内容 -テレビ大分(TOS)-

2010年6月6日(日)

湯の町別府のプリンセス

日本を代表する湯の町、別府。観光地、別府が低迷する傾向にある中、夜な夜な光り輝く場所がある。

別府温泉の象徴竹瓦(たけがわら)温泉のすぐそばにあって、アメリカのオールディーズやGSなどの生演奏ステージが毎夜繰り広げられる店、ヒットパレードクラブだ。22年前に、若者や女性が安心して楽しめる場所を、とオープンさせた故オーナーの心を全員で受け継ぎ、いまや別府に無くてはならないものとなった「ヒッパレ」。スタッフ、バンドのメンバーらのパワーとアイデアでファン層を拡大し、県内外から多くのファンが訪れている。

ここでステージに立つバンド「ヒットパレーダース」の唯一の女性ヴォーカル、相良安有美(さがら あゆみ)さん(24)。明るく楽しくステージを務める彼女の思いはただひとつ、別府を訪れる人々に楽しい思い出を作ってもらいたい、温泉とは別の思い出も持って帰ってもらいたいということ。こうして今夜もまた湯の町別府のプリンセスは60年代のドレスをまとってステージに立つ。

制作局テレビ大分(TOS)

2010年3月14日(日)

職業は三味線奏者 ~23歳の一歩~

三味線奏者・鈴木利枝は、去年の春APU(アジア太平洋立命館大学)を卒業したばかりの23歳。

名古屋出身の鈴木は、小5で始めた三味線に魅せられた。中学は三味線の本場・青森に進学し、ますますのめりこんだ。大学卒業後はアジアを放浪、さまざまな音に出会った。そして、大分・別府を本拠地に、“職業”として三味線奏者を選択した。

希望と挫折を経験をした青森での様子などを通じて、鈴木の社会人としての一歩を伝える。

制作局テレビ大分(TOS)

2010年2月7日(日)

職業は三味線奏者 ~23歳の一歩~

三味線奏者・鈴木利枝は、去年の春APU(アジア太平洋立命館大学)を卒業したばかりの23歳。

名古屋出身の鈴木は、小5で始めた三味線に魅せられた。中学は三味線の本場・青森に進学し、ますますのめりこんだ。大学卒業後はアジアを放浪、さまざまな音に出会った。そして、大分・別府を本拠地に、“職業”として三味線奏者を選択した。

希望と挫折を経験をした青森での様子などを通じて、鈴木の社会人としての一歩を伝える。

制作局テレビ大分(TOS)

2009年10月25日(日)

「ただいま」 ~伊勢正三・38年目の初コンサート~

5月19日、デビュー38年目を迎えたシンガーソングライター・伊勢正三さんが、初めてのふるさとコンサートを出身地・大分県津久見市で開いた。

“かぐや姫”“風”時代から「なごり雪」「22才の別れ」「ささやかなこの人生」「海岸通り」と数々の国民的な楽曲を生み出してきた伊勢さんには、地元からコンサート開催を求める熱烈的な要望が届いていた。しかし、当初は自分の出身地という特別な場所へのこだわりからこれを断り、また年齢が進んでからも高い音楽性への追求から実現しなかった。2002年・2007年と地元をテーマに撮影された大林映画のモチーフになるなど、60歳を前にふるさとへのベクトルは徐々に向き始めついにこの春実現した。番組では、伊勢さんのたどった道をナイーブな詩の世界を生み出したふるさとの原風景を辿りながら紹介するとともにコンサートの様子を伝える。また、コンサート実現にこぎつけた同級生らの思いも綴りふるさとの持つ意味を考える。

制作局テレビ大分(TOS)

2009年9月27日(日)

「ただいま」 ~伊勢正三・38年目の初コンサート~

5月19日、デビュー38年目を迎えたシンガーソングライター・伊勢正三さんが、初めてのふるさとコンサートを出身地・大分県津久見市で開いた。

“かぐや姫”“風”時代から「なごり雪」「22才の別れ」「ささやかなこの人生」「海岸通り」と数々の国民的な楽曲を生み出してきた伊勢さんには、地元からコンサート開催を求める熱烈的な要望が届いていた。しかし、当初は自分の出身地という特別な場所へのこだわりからこれを断り、また年齢が進んでからも高い音楽性への追求から実現しなかった。2002年・2007年と地元をテーマに撮影された大林映画のモチーフになるなど、60歳を前にふるさとへのベクトルは徐々に向き始めついにこの春実現した。番組では、伊勢さんのたどった道をナイーブな詩の世界を生み出したふるさとの原風景を辿りながら紹介するとともにコンサートの様子を伝える。また、コンサート実現にこぎつけた同級生らの思いも綴りふるさとの持つ意味を考える。

制作局テレビ大分(TOS)

次回放送内容

OA:2026.08.02(日)

太平洋戦争末期に制作・公開された、戦時下の福岡を舞台とした映画「陸軍」。陸軍省後援の、いわゆるプロパガンダ映画だ。監督として白羽の矢が立ったのは「二十四の瞳」など、後に数々の名作を手がけることになる木下惠介。“戦意高揚”を目的とした映画だが、“反戦”とも伺えるシーンを忍ばせる。この映画には、福岡などから召集された本物の陸軍部隊・通称「〇ト部隊」が出演していた。沿道で多くの人々が国旗を振った、盛大な行軍シーン撮影。しかし、実際の出陣は映画とは大きくかけ離れたものだった。その後、戦地・フィリピンで地獄の「飢餓戦」を余儀なくされ大半が戦死した「〇ト部隊」。兵士たちの最後の叫びとは…

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