ページトップ
TNCメニュー

これまでの放送内容 -テレビ大分(TOS)-

2011年12月18日(日)

人間力 ~東龍バレー 日本一への挑戦~

2011年から1月開催となり、新しく生まれ変わった春の高校バレーで初代女王に輝いた東九州龍谷高校女子バレー部。

1月5日に開幕する大会でも、春高バレーとしては5連覇、選手権大会としては4大会連続優勝に挑む。チームを率いて7年目の相原昇監督が選手たちを指導する上でこだわっているのは「人間力」をどう鍛えるかということだ。監督は、「人間力が高い人こそが日本一になれる」と言う。

「人間力が高い」とは、どんな状況においても逃げ出さずに立ち向かう強さがあること。1人の教育者として選手たちには技術面よりも人間力を鍛えることに重点を置いている。監督の考えを通して、チームの強さの理由を探る。

制作局テレビ大分(TOS)

2011年8月7日(日)

昭和の町のおばちゃんパワー

毎年30万人を超す観光客が訪れる大分県豊後高田市の昭和の町。 わずか400メートルの道の両側に40ものレトロな店が軒を並べ、土蔵造りの旧農業倉庫にはおもちゃ館や絵本美術館などがある。ミゼットやボンネットバスが走り、町を巡るだけで昭和30年代にタイムスリップできる。

以前は国東半島の仏の里として知られていた町に「昭和の町」が誕生してちょうど10年。行政と商工業者、そして住民が協力して、かつての賑わいを取り戻した豊後高田市。その活性化の源を、生き生きと働く女性パワーを通して紹介する。

制作局テレビ大分(TOS)

2011年6月12日(日)

なくすな町の映画館 ~フィルムに魅せられた男~

大分県日田市にわずか63席の小さな映画館「日田シネマテーク・リベルテ」がある。

シネマコンプレックスと呼ばれる複数のスクリーンを持つ大型映画館が主流となっている中、人口10万人以下の市では個人で映画館を経営することは不可能だと言われている。日田市も例外ではなく、この映画館も過去に2度閉館した事があり、今もその存続が危ぶまれている。

2009年6月、この映画館の復活が一人の若者に託された。原茂樹さん33歳。地元日田出身だが映画に関しては全くの素人。彼はいったいどのようにして、ミニシアターを復活させ軌道に乗せようというのか。日田を愛し、市内唯一となったこの映画館を文化発信基地とするべく奔走する原さんの熱い思いを追った。

制作局テレビ大分(TOS)

2011年5月15日(日)

昭和の町のおばちゃんパワー

毎年30万人を超す観光客が訪れる大分県豊後高田市の昭和の町。 わずか400メートルの道の両側に40ものレトロな店が軒を並べ、土蔵造りの旧農業倉庫にはおもちゃ館や絵本美術館などがある。ミゼットやボンネットバスが走り、町を巡るだけで昭和30年代にタイムスリップできる。

以前は国東半島の仏の里として知られていた町に「昭和の町」が誕生してちょうど10年。行政と商工業者、そして住民が協力して、かつての賑わいを取り戻した豊後高田市。その活性化の源を、生き生きと働く女性パワーを通して紹介する。

制作局テレビ大分(TOS)

2010年10月17日(日)

心のかけはし ~心の病を持つ人たちの就労への道~

長年、心の病を持つ方や家族にとって就労の場の確保、支援は大きな夢であり、社会活動に参加することで、様々なトレーニングが可能となった。

「トレーニングしてから働く」という考え方から「働くことでトレーニングする」というプロセスを重要視した支援モデルを立ち上げ、「誰でも、意欲さえあれば、一般就労することが出来る」という信念に基づき、全国で初めて岡山県と大分県でIPS=個別就労支援(individual placement and support)が始まった。大分県のLLC(合同会社)ハートブリッジではこのような背景を元に別府大学の三城大介准教授の指導を受けながら、心の病を持つ人々の就労支援に本格的に乗り出した。

「行政の制度の隙間を埋めるサービス」として、様々な生活環境の中で小さな苦しみや悩みのある人々の支援を目的に始め、その担い手として社会活動に参加意欲のある人を積極的に支援している。

そのような中、岡山県の施設はIPSを止める事になり、ハートブリッジが全国で唯一の支援事業所になった。番組では、このような全国でも先進的な取り組みとなる、ハートブリッジのスタッフの健闘ぶりや心の病を持つ人と関係者の取り組みにスポットを当てて紹介していく。

制作局テレビ大分(TOS)

次回放送内容

OA:2025.04.27(日)

2011年3月11日東日本大震災。福島第一原子力発電所がある福島県は、放射線災害の被害も重なり広範囲の避難となりました。その福島にすぐに支援に入ったのが、長長崎大学の教授で、医師の高村昇さんです。高村さんは、被ばく医療の専門チームの中心人物で、被爆地・長崎だからこそ培ってきた技術や知識をもって、現地の支援にあたっています。「被爆地・長崎、そしてチョルノービリで学んだ知識を福島の人たちのために生かす―。」 13年に渡り被災住民に寄り添ってきた長崎の医師を取材しました。

年別アーカイブ

制作局

  • LINEで送る
ページの先頭へ