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これまでの放送内容 -テレビ熊本(TKU)-

2010年6月26日(土)

73歳 白球を追う ~夢はチームメートと共に~

鳥栖市の鎌田勝子さん73歳。 ソフトボールのクラブチーム「鳥栖エンジェルス」の監督である。

就任早々の2007年には、佐賀県チャンピオンに導いた。鎌田さんの球歴、それは女子野球で始まる。

1950年代から70年代にかけ、西日本を代表する強豪として名を馳せた社会人の女子野球部に在籍。強肩強打の中心選手として活躍すると共に、キャプテンとしてもチームを引っ張り、日本選手権で5年連続優勝という金字塔を打建てた。女子野球からソフトボールへ、鎌田さんは還暦を過ぎるまでエンジェルスで現役を務めた。引退後、当時のキャプテンから監督就任を懇願される。その熱意に負け、指導者としてグラウンドに残ることになった。

制作局テレビ熊本(TKU)

2010年3月28日(日)

ノーリミット ~1型糖尿病のエアロビックチャンピオン~

熊本大学大学院2年の大村詠一さん(23)は一昨年、1分45秒の演技で芸術・技術・難度を競う表現スポーツ・エアロビックで日本チャンピオンになりました。

8歳の時に1型糖尿病を発症し、現在も1日5回のインスリン注射が欠かせません。
そして、日本各地で啓発活動を行い、「病気は個性です」と語り続けています。

今年春、大村さんは大学院を修了します。
一時は教師と決めていた進路を変え、選手生活を続けながら、啓発活動に専念することに決めました。主治医の南昌江医師は「病気だからといって、出来ないことはないんです。限界なんてないんです。『ノーリミット』という言葉を胸に生きてほしい」と語ります。
大村さんは多くの人たちに影響を与えています。

阪神タイガースの期待の左腕・岩田稔投手(26)は高校2年生の時に1型糖尿病を発症。プロ野球選手という夢をあきらめかけた時に大村さんと会い、野球を続け、スター選手の仲間入りを果たしました。番組では大村さんの全日本選手権大会や1型糖尿病の啓発活動に密着し、病気とともに生きる姿を見つめます。

制作局テレビ熊本(TKU)

2010年1月31日(日)

ノーリミット ~1型糖尿病のエアロビックチャンピオン~

熊本大学大学院2年の大村詠一さん(23)は一昨年、1分45秒の演技で芸術・技術・難度を競う表現スポーツ・エアロビックで日本チャンピオンになりました。

8歳の時に1型糖尿病を発症し、現在も1日5回のインスリン注射が欠かせません。
そして、日本各地で啓発活動を行い、「病気は個性です」と語り続けています。

今年春、大村さんは大学院を修了します。
一時は教師と決めていた進路を変え、選手生活を続けながら、啓発活動に専念することに決めました。主治医の南昌江医師は「病気だからといって、出来ないことはないんです。限界なんてないんです。『ノーリミット』という言葉を胸に生きてほしい」と語ります。
大村さんは多くの人たちに影響を与えています。

阪神タイガースの期待の左腕・岩田稔投手(26)は高校2年生の時に1型糖尿病を発症。プロ野球選手という夢をあきらめかけた時に大村さんと会い、野球を続け、スター選手の仲間入りを果たしました。番組では大村さんの全日本選手権大会や1型糖尿病の啓発活動に密着し、病気とともに生きる姿を見つめます。

制作局テレビ熊本(TKU)

2009年12月13日(日)

こどもたちへ ~配達人 樋口了一~

ブラジルから届いた差出人不明のメール。老いた親が、あるがままの自分を受け止めて欲しいと子供に綴った手紙。

シンガーソングライターの樋口良一さんは、このメールにメロディーをつけ「手紙」という曲を作り、CDの発売にあわせて生の手紙を届けるライブをはじめた。

介護施設を中心にライブの依頼は300件を越え、これまでに40ヶ所以上で無償のライブを届けたきた。番組では無償のライブを続ける樋口さんの想いと、手紙という曲に希望や勇気を見出した様々な境遇にいる人々を見つめる。

制作局テレビ熊本(TKU)

2009年11月15日(日)

こどもたちへ ~配達人 樋口了一~

ブラジルから届いた差出人不明のメール。老いた親が、あるがままの自分を受け止めて欲しいと子供に綴った手紙。

シンガーソングライターの樋口良一さんは、このメールにメロディーをつけ「手紙」という曲を作り、CDの発売にあわせて生の手紙を届けるライブをはじめた。

介護施設を中心にライブの依頼は300件を越え、これまでに40ヶ所以上で無償のライブを届けたきた。番組では無償のライブを続ける樋口さんの想いと、手紙という曲に希望や勇気を見出した様々な境遇にいる人々を見つめる。

制作局テレビ熊本(TKU)

次回放送内容

OA:2025.08.24(日)

熊本市在住の槌田春義さん・92歳は、かつて兄の出征を見送った熊本駅が見える場所で兄の帰りを待ち続けている。熊本県ブーゲンビル島会に入会し、有志と共に兄の軍歴について調べ始めた槌田さんは、兄が戦死した場所と埋葬された地域を突き止める。記録によると、その場所で戦死した日本人は1人だけ。槌田さんの兄と思われるが確証はない。2022年10月、ブーゲンビル島出身者を熊本に招き、現地がどういう場所なのか話を聞いた。人は住んでいるが、原風景が残る昔ながらの集落らしい。口承文化のため戦争中の話が語り継がれているかもしれないとのこと。2023年6月、熊本県ブーゲンビル島会の有志がブーゲンビル島へ。槌田さんの兄の埋葬場所と思われる場所を目指す。

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