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2012年7月29日(日)

沖縄を返せ

日本への復帰を目指す沖縄で、熱狂的に歌われた歌「沖縄を返せ」。その伝説の歌の背景を探っていくと、日本と沖縄の複雑な関係と「復帰」の真の姿が見えてきた。

日本への復帰を目指す沖縄で、熱狂的に歌われた歌がありました。「沖縄を返せ」。その伝説の歌は、「復帰運動」という時代のうねりの中で、人々の思いをひとつに束ねる、そんな強い力をもっていました。40年前、その歌と共に、悲願の本土復帰を果たした沖縄。しかし、それは望んでいた「復帰」ではなかったのです。復帰後の沖縄では、あれほど人々から愛された「沖縄を返せ」は、急に歌われなくなり、時の彼方へと消え去ってしまいました。なぜあの歌は、あんなにも熱烈に愛され、憎まれたのか…。そして「沖縄を返せ」が生まれた背景を探っていくと、日本と沖縄の複雑に交差する想いと、「復帰」の真の姿が見えてきたのです。

出演者:【構成・演出】 山里孫存 【取材】 沖縄テレビ報道部「復帰を知る」取材班 【プロデューサー】 山里孫存 (沖縄テレビ) 正木伸一郎(テレビ西日本)

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

次回放送内容

OA:2025.08.17(日)

太平洋戦争末期の1944年、地上戦が迫っていた沖縄。国は、戦闘の足手まといになるとして、沖縄の子どもたちを九州へと移動させる「学童疎開」を推し進めました。親元を離れ、九州各県へと向かった子どもたちを待ち受けていたのは貧しい暮らしでした。当時の記憶を次の世代につないでいくために、去年、沖縄では学童疎開を追体験する研修が企画されました。県内の小学5・6年生が参加したなか、特別な想いを抱いて研修に臨んだのが眞榮城百恵さん(11)です。百恵さんのひいおばあちゃん、糸数裕子さん(享年97)は学童疎開の引率教師として、終戦まで宮崎に身を寄せ苦労の日々を送った体験がありました。ひいおばあちゃんの過去や当時の子どもたちのことを知りたいと、百恵さんは宮崎の地を訪れたのでした。

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